2006年08月18日
西岡義弘の「月下酔黙琴堂日記」
私が、料理界から陶芸の世界に飛び込んだ時、京焼きのプロの登竜門である「京都府陶磁器訓練校(現在の高等技術専門校)」に28歳で入学した。当然男性の1番年寄りだった。
このときの同級生に、同志社から陶芸の道を志。東山五条の角の名門「藤平」で働きながら入学してきたのが西岡だった。学年生徒会長。常に30人をまとめて引っ張っていく実力派だが、正確は、はなはだ個性的。丸刈りだったので、坊主とも呼ばれていたが、いつも笑顔。で、すべて個性的。
正直、京都の伝統的枠踏みの中で続くのかが心配だった。
人間の人生は、その人間が歩んだ。また興味をもったすべてが、年とともに1つの世界となって、生き方や、人生観、そして人生そのものになって、現れてくる。私が、シルクロードがテーマの料理と陶芸作品がライフワークになっているように、「シルクロード」の方が、柱だったことに気づいたように。西岡には、他の陶芸家にない、彼の行き方が出ている。
http://gekkasui-mokkindou.at.webry.info/
このときの同級生に、同志社から陶芸の道を志。東山五条の角の名門「藤平」で働きながら入学してきたのが西岡だった。学年生徒会長。常に30人をまとめて引っ張っていく実力派だが、正確は、はなはだ個性的。丸刈りだったので、坊主とも呼ばれていたが、いつも笑顔。で、すべて個性的。
正直、京都の伝統的枠踏みの中で続くのかが心配だった。
人間の人生は、その人間が歩んだ。また興味をもったすべてが、年とともに1つの世界となって、生き方や、人生観、そして人生そのものになって、現れてくる。私が、シルクロードがテーマの料理と陶芸作品がライフワークになっているように、「シルクロード」の方が、柱だったことに気づいたように。西岡には、他の陶芸家にない、彼の行き方が出ている。
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Posted by こやまあきゆき at
00:52
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