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プロフィール
こやまあきゆき
こやまあきゆき:陶芸家 
「円山陶芸協会」代表
「民族芸術学会」会員〔食文化)
「ふるさとテレビ顧問」(農水省外郭団体)
「NPO京都生活環境つくり21」理事
財団法人「うどんミュージアム」館長
陶芸集団チェラミスタ代表幹事
長尾谷高校・つくば開成高校元講師。(陶芸)
京都市公立小学校他で約15年間陶芸指導。
京都市工業試験場陶磁器研修科終了。
京都府陶工訓練校専攻科終了。
京都産業大学外国語学部卒業。京都生まれ。
財団法人「京都国際学生の家」OB
「京都市展」「日展」ほか200回以上の展覧会に出品。
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2006年08月27日

「女坂で伝説になった陶芸家」

京都近美の「富本憲吉展」この、先生の美大の教え子で伝説になったのが、加茂田章二
この人もちろん独特の色彩の石器のような独自の作風で一世風靡したのに、若くして亡くなった。

彼は、美大卒業後「日立」の陶磁器研究所の工房に就職し、独立するが、学生時代に多くの奇行乃伝説が数多く残っている。
学生時代を一緒に過ごした父は、(父は、先輩で助手になったが)彼が実は酒が実に弱かった。と証言する。東山七条。通称「女坂」の奥の下宿していたが、寄っている為様々な奇行でしばしば警察のお世話になった。「パンツ1枚で、市電に乗車拒否され、そのまま後ろにぶら下がって四条河原町で、交通整理の真似事。さらに馴染みの「築地」にコーヒー飲みにいったが、パンツ1枚の為、入店拒否。
挙句に看板のたるを階段上から転がして入り口出入り不能にしたり。すべて悪気なしの悪戯精神。
何しろ、当時芸大の学生は、仮装行列で四条を歩きまわって、動物園の像まで借り出すハチャメチャぶり。それがゆるされた良き時代。でも女坂では、しょっちゅう痴漢と間違われていたそう。
本人、ただの酔っ払い。酒に弱いだけです。
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Posted by こやまあきゆき at 02:04Comments(0)

2006年08月20日

人生108年

前のブログに書いたので、一応明確にしておくと、私とそこそこ付き合いのある人は、私が、108年の人生を生きているこたは、皆知っている。

といっても、明日突然他界するかもしれない。子供の時から1度やってみたい事が多すぎて、こんな煩悩だらけの人間は、108年生きて、毎年1つ目的を達成するつもりでないと、何もないまますぐ終わってしまう。

そう思ったので、自分なりに人生の柱。10年目標。1年目標。を決めながら。
常に食べて健康管理しながらがんばっている。
先日本能寺にいって、信長でも途中で無念の死を遂げたことを思いつつも。がんばります。  

Posted by こやまあきゆき at 20:25Comments(0)

2006年08月20日

アートセンターの振り付け師

出会った瞬間から、只者ではない事はすぐわかった。
何をしている人だろう?
近くにいても、話すきっかけがない。
で、いつものブログの紹介を書いた名刺を渡して、それが話すきっかけに。
話してみれば、共通の友人知人の名が次々出てきて、話が止まらない。
清水のライトアップを見ながら始まった会話は、「アートセンター」や京都の現在の新しいアートスペースに広がっていった。

人は、出会うべくして出会う。私は子供のころから、好きな事に一生懸命打ち込んでいれば、必ず、共通点のある人とは、どこかで出会う。と信じてきた。大切なのは、自分の生き方や方向がしっかりしてないと、出会いに振り回される。私は、無理なく全力で108年の人生を生きようとしている。  

Posted by こやまあきゆき at 20:18Comments(0)

2006年08月19日

遠州流と宇治の朝日焼

今日、遠州流の宗家の方でも、戦争中は出征しなければならなかった為、戦後もロシアでご苦労されたのに、茶室を作る知識が、現地で生かされて、ご苦労の中も帰ってこられた。というお話を、事情をよく知る方からお伺いした。そんなことから、遠州流が、大名茶の好みを受け継いでおられる事と、遠州好みの七窯の一つが、宇治の朝日焼であること、現在の朝日焼の当主は、京大出とかで、陶器の窯でも、科学的にも研究しておられる話。
実は、私も訓練校と工業試験場の出身で、楽さんもそうだが、大先輩に当たり、学生時代に見学に寄せていただき、貴重なお話をたくさんお伺いした。
京都の町のすごいところは、利休居士ゆかりの三千家と大徳寺。以外にも、建仁時・萬福寺のような煎茶ゆかりの寺院。他にも多彩な伝統がすべて受け継がれている事だ。
そういえば赤膚焼を受け継いでいるのもすべて、私か父の友人(陶磁器の学生時代の)だった。   

Posted by こやまあきゆき at 01:56Comments(0)

2006年08月18日

西岡義弘の「月下酔黙琴堂日記」

私が、料理界から陶芸の世界に飛び込んだ時、京焼きのプロの登竜門である「京都府陶磁器訓練校(現在の高等技術専門校)」に28歳で入学した。当然男性の1番年寄りだった。
このときの同級生に、同志社から陶芸の道を志。東山五条の角の名門「藤平」で働きながら入学してきたのが西岡だった。学年生徒会長。常に30人をまとめて引っ張っていく実力派だが、正確は、はなはだ個性的。丸刈りだったので、坊主とも呼ばれていたが、いつも笑顔。で、すべて個性的。
正直、京都の伝統的枠踏みの中で続くのかが心配だった。
人間の人生は、その人間が歩んだ。また興味をもったすべてが、年とともに1つの世界となって、生き方や、人生観、そして人生そのものになって、現れてくる。私が、シルクロードがテーマの料理と陶芸作品がライフワークになっているように、「シルクロード」の方が、柱だったことに気づいたように。西岡には、他の陶芸家にない、彼の行き方が出ている。
http://gekkasui-mokkindou.at.webry.info/  

Posted by こやまあきゆき at 00:52Comments(0)

2006年08月17日

弘法さんブログ

弘法さんに「京都散策の会」で、出かけた時、東門を入ったら、スロベニアレストラン「ピッカポロンツァ」のイゴールさんのお店が出ているので、ケーキギバニッツアを食べた。
当日は、春の宝物展期間中で、昨年の秋の宝物展に続いていったのだが、古布やなつかしのポスターなどを集めている娘と一緒だったが、行く前に「東寺のHP]や同名で出てくるブログなどを読んでおおいに勉強させていただいた。

「東寺」をテーマのブログは、なかなか皆さん凝っているのでいろいろ参考にさせていただいた。

今回、21日も近いので検索していてちょっと気に入ったのがあったので、ご紹介しておきます。
http://www.tonkatsuichiban.com/map/Touji.html  

Posted by こやまあきゆき at 18:55Comments(0)

2006年08月12日

「アートするなら」

陶器勉強して、個展するならまず「祇園八源」に行きましょう。多い年で若手100名以上が無料で展覧会をひらいた。若手の登竜門。実は。小山晶之のショールームから始まったのだ。
最初のメンバーは、日展でも入選した加古勝巳。伝統工芸の浅田浩道・木村展之・クラフト系の岡田博ひろ。工業試験場講師木村隆。と小山晶之(チェラミスタ代表幹事。京焼清水焼連絡協議会元副議長)の6人です。これに影山明(芦屋・適水美術館陶磁器研究所講師)らが、参加して、若手作家の情報交換の場になりました。
  

Posted by こやまあきゆき at 23:54Comments(0)

2006年08月10日

棟方志功

青森のねぶたを見ると、ベートーベンを口ずさみながら、なめるように版木に顔を近づけ彫っておられる姿がよみがえる。
民芸の作家として、柳・浜田・河井と共に行動された、日本を代表する版画家。
意外と知られていないのが、画家志望っだったのに、なぜ版画家になったか?ということ。
私は、富本憲吉先生が、生前、助手の小山喜平に何度も話されていたので、知っていたが。
棟方さん自身も監修された、ご本人をモデルにしたTVドラマにそのシーンがはっきりと出てきた。

世の中には、本人の意思とは関係なく。周囲の残された方々の判断で、伝わらないことも多い。
偶然、民芸の中核メンバーとよく行動をともにし、旅もした人が、偶然ある私の仕事の上司となり、当時の重鎮の素顔を、民芸の立場からのお話をいまお伺いしている。 またいづれくわしく・・・。  

Posted by こやまあきゆき at 17:03Comments(0)

2006年08月10日

河井寛次郎

仕事が仕事をしています。
草にあらず。人にあらず。木にあらず。(お茶の字から、お茶の心を・・・)

河井先生は、とても好きな作家である。
何よりも、馬町の記念館にいると、心が表れる気がする。

残された登り窯は、展示用に少し幅が狭くなったと聞いた。
先生がお元気だった時代に、父はここで作品を焼かせていただいた事も。

無官を通されたことも。  

Posted by こやまあきゆき at 16:50Comments(0)

2006年08月08日

NHK見てね8月27日

「日曜美術館」に父、小山喜平が、師「富本憲吉」先生について話します。朝9時夜もあります。  

Posted by こやまあきゆき at 00:18Comments(0)

2006年08月06日

五条坂陶器祭りはじまります。

今日からです。私もなんども参加しました。「京都府陶磁器共同組合青年部」のメンバーでした。
彼らの店は、歩道橋の北を降りたとこ。毎年テレビで紹介されます。
他にも、岡田さん他、南の両側に若手作家の作品目白押しです。
北の「壷やいかい」さんのお父さんは、長年世話役として功績のあったかたです。息子の祐一さんは、伝統工芸の売れっ子作家。「谷寛商店」さんにも、日展作家の谷口さんの姿が。
皆、作家として大成された方々ですが、家族として、この時は、実家や身内のお店を手伝いに来るのです。陶器祭りは、陶器の神社のお祭りですから。ただのバーゲンとは違うのです。
くわしくは、下記参照。
http://www.toukimaturi.gr.jp/  

Posted by こやまあきゆき at 23:14Comments(0)

2006年08月06日

フレンチの鉄人の陶彫

教え子の一人に「エルゴビバームス」の料理長を勤めた、大塚チェフがいた。
京都新聞にフレンチの連載を担当し、料理がカラーで載ったのだが、本人はこの話を受けるに当たって、円山陶芸倶楽部(075-551-4198)に入門してきた。
器も自分ですべて作りたかったようだが、最低1ケ月ぐらい、成形から完成までかかるため、とりあえづ入門された。主に私と京都芸大名誉教授の父が、指導に当たったが、何よりも彼が、氷の彫刻の技術で、粘土を彫刻したいと言い出した事だ。そのために磁器の粘土の塊を完全に乾燥さしてから、石を削るように、削る方法を選択したため、完成までに2ケ月以上かかったが、残念ながら、窯のなかで、亀裂がはいってしまった。彼は、それを見るなりもう一度やりますと磁土の塊を持って帰った。
完成した作品は、当時エルゴの店内に飾られていた。その後、信州のお蕎麦やのお嬢さんと結婚されて、作品も信州へ飛んで言ったようだ。  

Posted by こやまあきゆき at 23:05Comments(0)

2006年08月04日

富本先生の陶箱の秘密

磁器で、陶箱を作る。
磁器の技術を知るものなら、おそらく粘土での型を、石膏でかたどりして、い込みの技術で作るだろう。事実人間国宝を名乗る人でも、失敗の少ないこの方法を取る。
しかし、富本先生は、磁土の塊を完全に水分が抜けるまで乾して、削りだして作っている。
長時間かけて削るなかで、想いの形に仕上げていく。実際は、見本をもとに助手が多くの作業を手伝っているが、形やデザインに妥協のない富本は、若きロクロ名人と呼ばれた近藤悠三が助手となって、先生の見本を手本に、ロクロをみごとに薄くきれいに引いてしまった時の作品をみて、形が見えてないと、すべて割ってしまった。このくやしさをバネに近藤の研究も大きな1歩を始めるのだが、
いくら技術がすぐれていても、悪い形を、いくら薄くきれいに作ってもいいものが出来ない。と、きびしかった。  

Posted by こやまあきゆき at 01:04Comments(0)

2006年08月02日

近美で出会う

富本憲吉展で、奈良の富本憲吉記念館の館長代理で、富本研究第一人者の山本さんご夫妻と出会う。今回の展覧会には、今まで見たことのない作品が多く。実は、富本作品が、作家として最も値段が高く、実は贋作(にせもの)も多い。
一流の美術館所蔵品でも、贋作の可能性があり、作品のほとんどが、先生の生活同様にほとんど記録されていることから。毎回全部本物ですか?という話から始まる。
助手を務め、先生の技法をほとんど知り尽くしている父の所には、鑑定の依頼が後を絶たない。やはり、前の父の個展の時に、先生の作品を¥4000万で買った方が、その作品を持ち込まれた。残念ながら、見事な贋作だった。正直、知っても残念なだけで、お気に入りでしたあら大事にしてあげてください  

Posted by こやまあきゆき at 23:56Comments(0)