2006年09月22日
円山公園の由来
「円山陶芸協会」会長井上よしたか、関西電力OB。3代目「円山陶芸倶楽部」会長。
私達の「円山・・・」の名前は、その作陶の場が、円山公園内の一番奥の方の、「也阿弥」ゆかりの「東観荘」の2階奥座敷を活動の場にしていた事に由来する。当時の女将の「お佳さん」の元には、京都の各界の文化人・芸術家が集って、「東観荘」は、華やかな社交の場になっていた。これも女将の努力の賜物。料理長と一緒に器も作りたい。奥の開いてる座敷一つ使って器も作ろう。そんな発想だったが、サロン作りに私も参加していたが、当時六地蔵他で手一杯で、工業試験場の恩師木村隆先生が、「円山陶芸倶楽部」を開いてくれた。しかし先生の渡仏によってやはり私が世話をすることになり、どうせならと、私の器で料理も作って楽しむ「円遊会」もスタートし、すっかりはまってしまった。
そんな中、円山公園の上にある「安養寺」で、お兄さんが檀家総代を勤める井上さんが食事に来られ、倶楽部に入門された。井上さんから円山の歴史を教えていただいた。
元々比叡山と同じ天台宗のお寺として創建され、浄土宗開祖法然上人。浄土真宗開祖親鸞上人も修行されたお寺。その後一時寂れて、長楽寺と同じ鎌倉時宗のお寺として今日にいたる。号『円山』 続きを読む
私達の「円山・・・」の名前は、その作陶の場が、円山公園内の一番奥の方の、「也阿弥」ゆかりの「東観荘」の2階奥座敷を活動の場にしていた事に由来する。当時の女将の「お佳さん」の元には、京都の各界の文化人・芸術家が集って、「東観荘」は、華やかな社交の場になっていた。これも女将の努力の賜物。料理長と一緒に器も作りたい。奥の開いてる座敷一つ使って器も作ろう。そんな発想だったが、サロン作りに私も参加していたが、当時六地蔵他で手一杯で、工業試験場の恩師木村隆先生が、「円山陶芸倶楽部」を開いてくれた。しかし先生の渡仏によってやはり私が世話をすることになり、どうせならと、私の器で料理も作って楽しむ「円遊会」もスタートし、すっかりはまってしまった。
そんな中、円山公園の上にある「安養寺」で、お兄さんが檀家総代を勤める井上さんが食事に来られ、倶楽部に入門された。井上さんから円山の歴史を教えていただいた。
元々比叡山と同じ天台宗のお寺として創建され、浄土宗開祖法然上人。浄土真宗開祖親鸞上人も修行されたお寺。その後一時寂れて、長楽寺と同じ鎌倉時宗のお寺として今日にいたる。号『円山』 続きを読む