2006年10月21日
織部とは。
陶磁器の織部は、銅で酸化で発色する色の代名詞ですが、本来は、古田織部の好みはら来ています。ところで、皆さんがよくご存知の古田織部。本名ではありません。本名は、古田重然(しげなり又は、しげてる)1544年生まれ。従五位織部正という官位を受けたときから、古田織部とも呼ばれ。利休七哲の一人で、美濃の出身。利休の死を見取った。後に同様に自害。しかし、彼の残した織部焼は、今日まで、茶陶のみならず、美濃焼の技法のひとつとして、そして今日和食器の代名詞の一つとして、親しまれている。なぜ織部が美濃焼の代名詞なのか?織部は朝鮮出兵に参加し、今日唐津焼で有名な、佐賀に赴任。この時、加藤四郎左衛門景延に唐津の窯を研究させて、美濃焼に取り入れさせた。今日陶祖としてその名を残したのは、古田ではなく、加藤で、美濃の多くの陶工が後に姓を加藤にしたために、姓では区別できずに屋号で呼び合う。この新窯から織部焼や黄瀬戸など美濃焼を代表する作品が、大量に作られていく。加藤は陶工として名を残し、織部は、文字通り陶器そのものとして、名を残した。