2006年11月27日
追悼 嵯峨美の佐藤 巧
今日、友人の陶芸仲間の佐藤巧が、他界した事をしった。
この前の「マロニエ」での個展で会ったばかりだが、元気がなかったのが気になっていたが、以前心配した時期もあったので、むしろ元気でがんばってる事を喜んでいた矢先の訃報。
佐藤巧との出会いは、近藤高弘・長谷川伸弘が設立した陶芸集団「チェラミスタ」に参加した時が最初だった。役員会議で同席し、偶然彼のお父さんが、美術写真家でも有名な、佐藤旭先生で、私の父で京都芸大の教授をしていた小山喜平と親交深く。私も子供のころからお会いし、知っていた。その息子ということと、アーティスティックでカラフルな作品と、黒皮のジャケット、メタリックなケース、手にはドクロの指輪。毎年アメリカの国際陶芸家会議に出席するだけに、どこか感性が日本人離れしている個性的キャラが好きだった。「国際ホテル35周年記念・日本庭園での陶芸展『浮遊群』」を私が企画した時にも参加してもらった。44歳というあまりに若すぎる生涯だが、彼の残した作品の最後が、人形のような作品群で、ようやく私の作品群に接近していただけに。残念でならない。ご冥福を心よりお祈りいたします。 小山晶之(こやまあきゆき)
この前の「マロニエ」での個展で会ったばかりだが、元気がなかったのが気になっていたが、以前心配した時期もあったので、むしろ元気でがんばってる事を喜んでいた矢先の訃報。
佐藤巧との出会いは、近藤高弘・長谷川伸弘が設立した陶芸集団「チェラミスタ」に参加した時が最初だった。役員会議で同席し、偶然彼のお父さんが、美術写真家でも有名な、佐藤旭先生で、私の父で京都芸大の教授をしていた小山喜平と親交深く。私も子供のころからお会いし、知っていた。その息子ということと、アーティスティックでカラフルな作品と、黒皮のジャケット、メタリックなケース、手にはドクロの指輪。毎年アメリカの国際陶芸家会議に出席するだけに、どこか感性が日本人離れしている個性的キャラが好きだった。「国際ホテル35周年記念・日本庭園での陶芸展『浮遊群』」を私が企画した時にも参加してもらった。44歳というあまりに若すぎる生涯だが、彼の残した作品の最後が、人形のような作品群で、ようやく私の作品群に接近していただけに。残念でならない。ご冥福を心よりお祈りいたします。 小山晶之(こやまあきゆき)