2007年01月08日
小山園のお茶
名前が小山だが、私の親戚ではない。しかし私の生まれた鈴木家に工房があった、富本憲吉先生の頃には、小山園のお茶が日常の生活に組み込まれていた。昨年の全国茶品評会で、1位から3位を独占したのは、鮮烈な印象を残したが、やはり日本のお茶の製造業者の最高峰に君臨するのは、間違いない。辻利と京はやしやは、甘党の店としては、「京はやしや」が1番好きだ。辻利の私が子供のころの社長の姪と同級生だったので、ある時期辻利一色になった時期もあったが、もともと泉涌寺の大谷園の番茶が日常の定番だった我が家と、一保堂のほうじ茶専門の家内とが結婚したわけで、ただ、あきらかに抹茶は、陶芸家の家だけに数日に1度は、日常的に飲んでいた。母の手作りの和菓子と。やはりこの辺りが京都なのだろう。初釜のお遊びで、家元のところでいただいた抹茶は格別だったが、家元襲名披露の夜の「夜ばなし」が忘れられない。
2007年01月08日
清水六兵衛
京焼きの作家の名門中の名門。現在の当主は、8代目柾博さん。若かりし頃、大丸椀展でご一緒し、その頃からの交友ですが、基本的に縁続き。遠い親戚です。
清水家は、今の『日展』の母体の『文展』に第四部工芸が出来た頃から、5代が審査員など京都の中核的作家として、芸術院会員んもなられました。絵画的表現とダイナミックな作風の6代目は、文字通り「陶芸家クラブ」のリーダーとして、更にライバルだった楠部弥一さんと、「新工芸作家協会」を結成され、京都に新しい風をおこされました。彫刻家清水九兵衛としても有名な7代目は、彫刻家として多くの鉄の赤い立体作品を美術館前他に残され昨年残念ながら他界されました。京都芸大教授としても活躍されました。現8代目は、早稲田で建築を学ばれ、精華大で指導にもあたっておられます。
正確に成形しカットすることから、窯の中で自然な曲線に変化する。実に精巧なさくひんです。集合作品が圧巻です。私の実に大好きな陶芸家です。
清水家は、今の『日展』の母体の『文展』に第四部工芸が出来た頃から、5代が審査員など京都の中核的作家として、芸術院会員んもなられました。絵画的表現とダイナミックな作風の6代目は、文字通り「陶芸家クラブ」のリーダーとして、更にライバルだった楠部弥一さんと、「新工芸作家協会」を結成され、京都に新しい風をおこされました。彫刻家清水九兵衛としても有名な7代目は、彫刻家として多くの鉄の赤い立体作品を美術館前他に残され昨年残念ながら他界されました。京都芸大教授としても活躍されました。現8代目は、早稲田で建築を学ばれ、精華大で指導にもあたっておられます。
正確に成形しカットすることから、窯の中で自然な曲線に変化する。実に精巧なさくひんです。集合作品が圧巻です。私の実に大好きな陶芸家です。