京つう

アート/芸術  |東山区

新規登録ログインヘルプ


QRコード
QRCODE
インフォメーション
【京つうからのお知らせ】
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 2人
プロフィール
こやまあきゆき
こやまあきゆき:陶芸家 
「円山陶芸協会」代表
「民族芸術学会」会員〔食文化)
「ふるさとテレビ顧問」(農水省外郭団体)
「NPO京都生活環境つくり21」理事
財団法人「うどんミュージアム」館長
陶芸集団チェラミスタ代表幹事
長尾谷高校・つくば開成高校元講師。(陶芸)
京都市公立小学校他で約15年間陶芸指導。
京都市工業試験場陶磁器研修科終了。
京都府陶工訓練校専攻科終了。
京都産業大学外国語学部卒業。京都生まれ。
財団法人「京都国際学生の家」OB
「京都市展」「日展」ほか200回以上の展覧会に出品。
オーナーへメッセージ

スポンサーリンク

上記の広告は、60日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  
Posted by 京つう運営事務局 at

2007年01月27日

日本近代陶芸の祖と富本憲吉先生が呼ばれる理由

富本先生を、日本近代陶芸の祖と呼んだのは、美学の研究者達であるが、そう呼ばれてしかるべし訳がたくさんある。
1、美術館などでの美術展の対象が、日本画・洋画・彫刻であった時代、陶芸や染色・織・金工などの工芸は、職人の世界の匠の世界であり、創作的要素が多分に含まれていても、名工と称されても、芸術家と呼ばれる事はなかった。元々建築家で、東京の美術学校などの教授として、デザイン指導していた富本にとって、名建築を支えるグローバルな創作物の中に、絵画・彫刻の要素とともに、工芸の持つ要素は、同等であり、優れた仕事をするには、技術と創作性や独創性も含んだ、優秀な建築家・彫刻家・画家・工芸家時には造園家とか様々な人材が必要になる。ロンドン留学中に様々な欧州の美術運動・建築運動・工芸運動に触れ、工芸家が自分の展覧会を開いたり、専用ショールームを持っていたり、多様な価値観を持った作家が、時にクロスオーバーで交流し、刺激しあって活動している姿をみて、日本の徒弟制度のなかで、知識や技術が、一子相伝などで非公開になっている現状を憂慮していた。バーナードリーチとの出会いもさることながら、洋画の美術団体「国画会」に富本憲吉の部屋が設けられ、その作品が美術展の一角を占めたことは、画期的だった。  

Posted by こやまあきゆき at 23:50Comments(0)富本憲吉先生

2007年01月27日

陶芸家小山喜平の横顔

生まれは愛知県。建具師の父小山源一の修行の関係で愛知県で生まれる。小山家は代々播州龍野藩で小姓を務めていた。下野小山の分家。祖父は、大阪で住友の銅の精錬に携わり、大阪では資産家として料理屋なども所有した。源一は家具商として「小山商店」を開き、難波・玉出など3店にまで拡張。喜平は、難波の家で育ち、空襲で自宅・本店焼失後は、玉出で育つ。住吉高校を経て家具と関連のある漆芸の勉強の為に、京都の美術学校に入学2年間学ぶ。この頃「関西美術院」で黒田重太郎らに絵画を学ぶ。新生大学制度導入により、改めて「京都美術大学の1期生」として工芸科に入り、富本憲吉先生との出会いから、陶芸科1期生として富本・近藤・岩淵各先生の指導を受ける。専攻科終了後初めての助手として美大の教員となり、富本先生の公私の助手を務める、平行して留学生の指導・京都教育大学・芦屋の滴水などの指導も行う。京都芸大・京都大学などの様々なシルクロードの工芸調査の隊長・隊員を務める。長く京都府作家協会理事を務め、京都市の文化功労者。ペルシャ青釉は有名。  

Posted by こやまあきゆき at 17:19Comments(0)陶芸家 京芸大名誉教授 小山喜平

2007年01月27日

華道との出会い 5 「フラワーアレンジメント」

日本の華道で、ご縁の有る流派は他にもいくつかある。家元や高弟の方々といろいろお会いしている、たとえば、叔母の一人が「山村御流」の高弟だそうで、奈良や京都での華展で皆さんとお会いしている。しかし、私には、3000人以上の陶芸の教え子がいる。中には、フラワーアレンジメントの先生もたくさんいる。その一人、今井先生の一門も私の教え子が多い為に、華展に花器の賛助出品を頼まれた事も。展覧会自身がアートだった。  

Posted by こやまあきゆき at 00:54Comments(0)陶芸家 小山晶之

2007年01月27日

華道との出会い 4 「未生流」

未生流には、いくつかの流派があるが、父は、京都のマッショウと学生時代からの友人と呼んでいたが、母が未生流。しかもかなり高弟といわれている母の先生も母の身内である。華展には、母は、いつも父の作品を使っていた。残念ながら子供の私の出番はなかった。実家には、いつも母の生けたお花が飾ってある。花器は小山喜平作。夫唱婦随である。  

Posted by こやまあきゆき at 00:47Comments(0)陶芸家 小山晶之

2007年01月27日

華道との出会い 3 「嵯峨御流」

嵯峨御流は、大覚寺に本拠を持つ流派で、嵯峨美術短大出身の家内も嵯峨御流。なによりも、この流派と関係の深い加古勝巳は、初期のころ私と様々な活動をともにしていた関係で、嵯峨御流展への賛助出品の話も彼が持ってきた。大覚寺には、一般の参拝としてとは別に、華道の関係で何度か出入りしている。流派によって華道の生け方も違うので、自分の作品として、いかに流派の方向性の中で、生かしてもらえるかなどを、シュミレーションしょいながら、もう一つの自分のテーマとしても作品化していかなければならない。どちらかといえば自然の姿をシュミレーションした作品を提供した。  

Posted by こやまあきゆき at 00:42Comments(0)陶芸家 小山晶之

2007年01月27日

華道との出会い 2 「草月」

草月流というと私には、忘れられない想い出が2つある。その1が、故勅使河原宏先生が、映画監督として、私の名付け親で、父小山喜平の師でもある「富本憲吉先生」をモデルにした映画を製作される予定だった。京都美術大学教授になられた京都時代の先生の専用工房が、私が生まれた母方の祖父「鈴木清」の工房の奥に開かれ、父小山喜平の工房も同じ敷地にあったので、(祖父や私の家も同じ敷地内にあった。)映画化の際、この鈴木家の登り窯を中心とした、通称「黒門」と呼ばれた一角を、越前あたりに再現して撮影したいとの申し入れもあり、撮影用の先生の作品は、助手だった父が、すでに数点制作するところまで行っていた。もちろん勅使河原宏先生は、我が家にもスタッフとともに出入りされていた。主役も、ツリバカの社長がやる予定だっただけに、「利休」に続く作品になっていれば、「富本憲吉」の知られざる素顔が知られて、より大きな意味があっただけに、残念。先生のご冥福をお祈りします。もう一つの想い出は、しまだいさんで開いた、草月流若手の陶芸研修で、私が指導した事。約60人が、各自自由にデザインした創作花器を、短時間に全員が作った。蔭山明さんが手伝ってくれて、2人で走り回って指導した。短時間に、あんなに多彩な作品を、交代で作っていただいたのは、初めて。デザインも多彩だった。  

Posted by こやまあきゆき at 00:33Comments(0)陶芸家 小山晶之

2007年01月27日

華道との出会い 1 「池坊」

私が陶芸を訓練校・工業試験場で3年間プロとしての訓練と研究に取り組んでいたとき、最初に陶芸仲間として私を受け入れてくれたのは、京都府陶磁器組合青年部の先輩達、つまり五条青年会の皆さんだった。当時は、高木岩華の高木さんが会長。堀尾さん、井上さん、日吉の井上さんらともこの時出会う。同じ頃に若手陶芸家200人位が集まって陶芸集団「チェラミスタ」が結成される。発起人は、近藤高弘・長谷川伸弘。名付け親はイタリアファエンツァ帰りの西貞幸。イタリア語で陶芸家を意味する。設立の時に、近藤君が私にも声をかけてくれたが、28歳で本格的な訓練のために訓練校に入った為、2年目も磁器を学ぶ為に、専攻科に進んだ私は、訓練校の規則もあり出品を見合わせた。翌年の第3回展が、池坊由紀さんの尽力と、保子先生のご協力で「チェラミスタ華の器展」に池坊の皆さんが、花を生けてくださった。ただし限定20.つまり20名が、自分の好きな花器を選んで生けるサバイバル。そして、光栄にも私の「母なる大地」という作品に生けてくださった。おまけに後日生けた方の花嫁道具の一つにと、お買い上げくださった。初めて自分の作品が、華道の花器として評価された瞬間だった。後日、子供関係のご縁や仕事場のご縁で保子先生や由紀さんと何度もお会いする機会を持つようになったが、子供の頃にもチャーチル会のご縁でお会いしているので、不思議なご縁という気がする。ところで、現代的な方向の池坊でよく使われるオシャレな花器の作家の一人が、清水焼団地の奥田さんで、お嬢さんの榮さんは、訓練校の1年後輩。つまりいっしょに勉強した仲だ。山科にも遊びに行った事もある。池坊は、日本華道の最も伝統有る流派として、今日全国・世界にも門弟がおられる。私は、華道に使われる様々な材料を、他のディスプレーに応用する為に、時々池坊のモダンナエレヴェーターに小汚いジャンパー姿で乗っているが、もう一つ。六角堂が京都のヘソで、応仁の乱などの後の荒廃した京都は、革堂と六角堂から再建された事を、忘れてはいけない。下京は、六角堂から生まれたのだ。  

Posted by こやまあきゆき at 00:13Comments(0)陶芸家 小山晶之