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アート/芸術  |東山区

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プロフィール
こやまあきゆき
こやまあきゆき:陶芸家 
「円山陶芸協会」代表
「民族芸術学会」会員〔食文化)
「ふるさとテレビ顧問」(農水省外郭団体)
「NPO京都生活環境つくり21」理事
財団法人「うどんミュージアム」館長
陶芸集団チェラミスタ代表幹事
長尾谷高校・つくば開成高校元講師。(陶芸)
京都市公立小学校他で約15年間陶芸指導。
京都市工業試験場陶磁器研修科終了。
京都府陶工訓練校専攻科終了。
京都産業大学外国語学部卒業。京都生まれ。
財団法人「京都国際学生の家」OB
「京都市展」「日展」ほか200回以上の展覧会に出品。
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Posted by 京つう運営事務局 at

2007年01月08日

小山園のお茶

名前が小山だが、私の親戚ではない。しかし私の生まれた鈴木家に工房があった、富本憲吉先生の頃には、小山園のお茶が日常の生活に組み込まれていた。昨年の全国茶品評会で、1位から3位を独占したのは、鮮烈な印象を残したが、やはり日本のお茶の製造業者の最高峰に君臨するのは、間違いない。辻利と京はやしやは、甘党の店としては、「京はやしや」が1番好きだ。辻利の私が子供のころの社長の姪と同級生だったので、ある時期辻利一色になった時期もあったが、もともと泉涌寺の大谷園の番茶が日常の定番だった我が家と、一保堂のほうじ茶専門の家内とが結婚したわけで、ただ、あきらかに抹茶は、陶芸家の家だけに数日に1度は、日常的に飲んでいた。母の手作りの和菓子と。やはりこの辺りが京都なのだろう。初釜のお遊びで、家元のところでいただいた抹茶は格別だったが、家元襲名披露の夜の「夜ばなし」が忘れられない。  

Posted by こやまあきゆき at 23:49Comments(0)陶芸家 小山晶之

2007年01月08日

清水六兵衛

京焼きの作家の名門中の名門。現在の当主は、8代目柾博さん。若かりし頃、大丸椀展でご一緒し、その頃からの交友ですが、基本的に縁続き。遠い親戚です。
清水家は、今の『日展』の母体の『文展』に第四部工芸が出来た頃から、5代が審査員など京都の中核的作家として、芸術院会員んもなられました。絵画的表現とダイナミックな作風の6代目は、文字通り「陶芸家クラブ」のリーダーとして、更にライバルだった楠部弥一さんと、「新工芸作家協会」を結成され、京都に新しい風をおこされました。彫刻家清水九兵衛としても有名な7代目は、彫刻家として多くの鉄の赤い立体作品を美術館前他に残され昨年残念ながら他界されました。京都芸大教授としても活躍されました。現8代目は、早稲田で建築を学ばれ、精華大で指導にもあたっておられます。
正確に成形しカットすることから、窯の中で自然な曲線に変化する。実に精巧なさくひんです。集合作品が圧巻です。私の実に大好きな陶芸家です。  

Posted by こやまあきゆき at 02:11Comments(0)陶芸家

2007年01月07日

泥で手袋を焼く

泥といっても、磁器の削り粉の乾粉を水に加えると磁器の泥になる。
石膏型に流し込む場合は、水ぐすりなど加えるが、流し込む事で、石膏面が水分を吸収するので、徐々に厚みができてくる。ただ型によって厚さの加減も考慮が必要。うまく型からはずせても焼くとひずむ場合がよくある。
この泥。熱い軍手がわかりやすいが、水分を芯まで吸収する素材で出来たもの。たとえばトレーナーとか手袋が、焼くと繊維がほぼ灰になり、磁土がそのまま焼き物として形をとどめる。
陶紙なども主成分を紙の成形段階で磁土の成分を加えたもの。
私は、作品で使った経験がある。  

Posted by こやまあきゆき at 01:41Comments(0)円山流陶芸技法

2007年01月06日

京焼・清水焼連絡協議会の思い出

京都府陶工訓練校時代に、運筆という水墨画の講座が、訓練校で夜開かれていた。主催は、京都府陶磁器組合青年部。俗に「五条青年会」と呼ばれる、五条坂周辺の陶磁器製造業者の若手のメンバーの会である。青年部とはいっても40代位は会員になっている。つまり親会には、親が入っているので、子供は40代でも青年部にいるのだ。五条の陶器祭りのときに、いつもTVで紹介されるのが、青年部の店。なにしろ地域のいろんな作品が集まり、威勢がいい。私は、運筆を習ったことから、メンバーと出会い。私の生まれた登り窯のあった泉涌寺の家は、もともと窯元の母方の敷地の一角にあたり、五条坂から移り住んだ。特に京都の陶工は、他府県から明治以降に移住した者が多く。岐阜や愛知県(美濃・瀬戸・常滑)方面からの移住組みでは、最初の頃に成功した草分け的な家だったので、五条青年会に入会を勧められて参加した。一時期副議長も勤めた。高木さん。堀尾さん。井上さん。他皆さんお世話になりました。残念なのは、後輩で三浦竹泉を継ぐ三浦直人がこのとき私の紹介で参加してくれたのだが、若くして他界した。実に実直な性格で、明るい笑顔が今も忘れられない。たちきち本店や、府立文化芸術会館での「陶展」。京都市ギャラリーでの協議会での展覧会などで、日吉・泉涌寺・清水焼団地・炭山のメンバーとも交流できたのは、京焼きを理解する上でいい経験だった。  

Posted by こやまあきゆき at 00:34Comments(0)京焼き

2007年01月03日

お重はうるわし屋で

我が家のお重は、アンティークのうるわし屋さんのものです。堀内さんご夫妻とは、特に奥様とは、「うるわし屋」が出来る前からの友人で、その出会いのお陰で、我が家に東大寺の二月堂のお盆が家族分あるのです。御所の南。寺町から西へ行くと素敵な漆器のお店。奥様も素敵なかたです。
ご主人は仏教美術関係がご専門です。立ち寄るだけで気持ちのいい店です。そこから寺町を散策して、二条を西へ。丁子屋にもよってください。二条には、グランピエもあります。更に下がって三条には、芽亜利もあります。  

Posted by こやまあきゆき at 23:58Comments(0)京都散策

2007年01月03日

我が家の正月

新年明けましておめでとうございます。
今年は、ホテルフジタのお雑煮から始まりました。
初めて、お稲荷さんの初詣にJR奈良線で、稲荷駅まで行きました。私はGパンげしたが、家内と娘達は、着物でした。最近男の着物専門店も出来るほど男の着物ブームになってますが、京都ほど着物の似合う町はないでしょう。
夕方から、泉涌寺の実家で、両親・叔母・上の弟の家族と母のお節料理に舌鼓。ドリンクはシャンパンでした。子供達は焼肉(我が家は、牛肉とキャベツの炒め物が定番。食後はウノで盛り上がってました。親軍団は、お節と酒とおしゃべりで盛り上がりました。中でも叔母の息子と娘。
息子は六角で歯科医をしているのですが、巨漢。あるステーキの店で、普通2~300グラム男性が食べる炭火焼のステーキやさんで、私は400グラム食べるのですが、この従兄弟は、900グラム食べて大ジョッキ5~6杯平気なのです。妹の旦那は今人気のギターリストのマネージャー。なんでも若い頃のギター仲間で、相方の方がすごいテクニックで大ブレイクしたそうです。そんな話で正月早々盛り上がりました。やはり正月は、陶器焼かんと餅ばっかり焼いてました。  

Posted by こやまあきゆき at 23:50Comments(0)陶芸家 小山晶之