2007年01月27日
華道との出会い 1 「池坊」
私が陶芸を訓練校・工業試験場で3年間プロとしての訓練と研究に取り組んでいたとき、最初に陶芸仲間として私を受け入れてくれたのは、京都府陶磁器組合青年部の先輩達、つまり五条青年会の皆さんだった。当時は、高木岩華の高木さんが会長。堀尾さん、井上さん、日吉の井上さんらともこの時出会う。同じ頃に若手陶芸家200人位が集まって陶芸集団「チェラミスタ」が結成される。発起人は、近藤高弘・長谷川伸弘。名付け親はイタリアファエンツァ帰りの西貞幸。イタリア語で陶芸家を意味する。設立の時に、近藤君が私にも声をかけてくれたが、28歳で本格的な訓練のために訓練校に入った為、2年目も磁器を学ぶ為に、専攻科に進んだ私は、訓練校の規則もあり出品を見合わせた。翌年の第3回展が、池坊由紀さんの尽力と、保子先生のご協力で「チェラミスタ華の器展」に池坊の皆さんが、花を生けてくださった。ただし限定20.つまり20名が、自分の好きな花器を選んで生けるサバイバル。そして、光栄にも私の「母なる大地」という作品に生けてくださった。おまけに後日生けた方の花嫁道具の一つにと、お買い上げくださった。初めて自分の作品が、華道の花器として評価された瞬間だった。後日、子供関係のご縁や仕事場のご縁で保子先生や由紀さんと何度もお会いする機会を持つようになったが、子供の頃にもチャーチル会のご縁でお会いしているので、不思議なご縁という気がする。ところで、現代的な方向の池坊でよく使われるオシャレな花器の作家の一人が、清水焼団地の奥田さんで、お嬢さんの榮さんは、訓練校の1年後輩。つまりいっしょに勉強した仲だ。山科にも遊びに行った事もある。池坊は、日本華道の最も伝統有る流派として、今日全国・世界にも門弟がおられる。私は、華道に使われる様々な材料を、他のディスプレーに応用する為に、時々池坊のモダンナエレヴェーターに小汚いジャンパー姿で乗っているが、もう一つ。六角堂が京都のヘソで、応仁の乱などの後の荒廃した京都は、革堂と六角堂から再建された事を、忘れてはいけない。下京は、六角堂から生まれたのだ。
Posted by こやまあきゆき at 00:13│Comments(0)
│陶芸家 小山晶之