2006年06月07日
小山晶之と創作陶芸
小山晶之、東山の泉涌寺、日赤の裏。当時登り窯のあった母方の黒門に生まれる。
名づけ親は、日本近代陶芸の祖富本憲吉。富本は、5世乾山の弟子でもある。「民芸運動の活動の場となった国画会」「日展の前身の文展・帝展」「多くの前衛作家も生んだ日本で最初の工芸家のみでの美術団体新匠会」そして「伝統工芸」。4つの工芸運動の美術団体すべてに富本が創生期に中心的役割を果たしている。唯一4つの団体に出品し、最高賞を取り、晩年工房を並べて創作活動に取り組んだ鈴木清は、小山の母方の祖父。そして富本は京都芸大の前身の美大の陶芸科を開き、その1期生で、専攻科終了後、富本の公私の助手となったのが小山喜平。晶之の父。喜平は現在の協会顧問。京都芸術大学名誉教授。京都教育大学の陶芸講座は、喜平が育てたもの。さらに京大西アジア調査隊など、ヨーロッパから中国までのシルクロードを走り回って遺跡の調査をおこなった。
名づけ親は、日本近代陶芸の祖富本憲吉。富本は、5世乾山の弟子でもある。「民芸運動の活動の場となった国画会」「日展の前身の文展・帝展」「多くの前衛作家も生んだ日本で最初の工芸家のみでの美術団体新匠会」そして「伝統工芸」。4つの工芸運動の美術団体すべてに富本が創生期に中心的役割を果たしている。唯一4つの団体に出品し、最高賞を取り、晩年工房を並べて創作活動に取り組んだ鈴木清は、小山の母方の祖父。そして富本は京都芸大の前身の美大の陶芸科を開き、その1期生で、専攻科終了後、富本の公私の助手となったのが小山喜平。晶之の父。喜平は現在の協会顧問。京都芸術大学名誉教授。京都教育大学の陶芸講座は、喜平が育てたもの。さらに京大西アジア調査隊など、ヨーロッパから中国までのシルクロードを走り回って遺跡の調査をおこなった。
Posted by こやまあきゆき at 03:59│Comments(0)