京都の登り窯

こやまあきゆき

2006年06月17日 02:09

私が学生の頃まで、五条・日吉・泉涌寺には、多くの登り窯が焼かれていた。
構造は、最高だった。共同窯の場合、棚ごとに違う人の作品が入り、大体右と左でも分かれていた。
まず、手前のドウギで、一度焼いて、湿気を抜く。再び焼いて温度が上ると、一の間(一段目のトンネル)を、左右から薪をたして温度を上げる。天井の4ケ所の穴から火が出るようになると、中は酸欠の還元状態。横穴から見える位置にゼーゲルという、温度が来ると倒れてくる三角錐が三種類ぐらい並んでいる。倒れ具合を確認して、横のたきぐちを閉める。温度は1300度近い。(余熱でまだ上るためその手前)この時二の間は、900度位になっており、横から追い炊き。温度が上ると、三の間が900度位。順に行くが、下の方が還元。真ん中は中性、後ろは、酸化。一番後ろは、そう。900度以下。素焼きの温度。同じ窯で、還元の白磁や青磁は下で、萩みたいな灰は、真ん中。織部などの酸化は上の段だが、織部の銅は、気化しやすく。他の人の作品に移る可能性もあり、皆けんか腰の共同作業。
酸化が1230度位に統一されていたのも。他の窯に入れてもらえるから。