[万市]さんのおかげで祖父作品と再会  

こやまあきゆき

2006年11月03日 01:44

「京つう」ブログのおかげで、祖父 鈴木清 作品のある場所が一つ見つかりました。ありがとうございます。ちなみに、祖父は、初代鈴木清湖の長男ですが、鈴木喜三郎(加藤唐九郎が辞典で三代の事を紹介してくれています。)・鈴木鷹三郎(初代清湖・パリ博覧会で銀牌受賞・テイファニの国際的デビューもこの博覧会だそうです。)・鈴木清(最初彫刻家として山本格二らと活動・楠部弥一らと「赤土会」を結成。富本憲吉との出会いにより、国画会工芸部展に出品(この工芸部の事務所は鈴木家の住む黒門の敷地内に置かれた。私もここの中で生まれ育った)・国展が民芸運動の発表の場にもなったが、富本と創作重視の活動に参加。文展・帝展・新文展・日展と続く富本の「新匠工芸会」(後富本・稲垣捻次郎らと日展を脱退して新匠会設立に参加。黒門事務局となる)富本と共に第一回伝統工芸選抜展(初期は公募展ではなく選抜展)に出品。富本・稲垣と日を置かずして他界)。長女陽子の夫が京都芸大名誉教授で長年「新匠工芸会」審査員や京都府作家協会理事を務めた小山喜平(私の父)。清の長男が日展現代工芸他で活躍し京焼色絵磁器作家の鈴木爽司。その弟が伝統工芸や作家協会理事の鈴木卓司。その従兄弟が日工会の鈴木健司。清の妻「はな」は、清水六兵衛・谷口良三・西村徳泉・徳二郎らとも遠戚に当たる。また小山が京都芸大(当時の美大)1期生。続いて鈴木健司・鈴木爽司も卒業生で、更に小山は、芸大のほかに京都教育大学の講師や京大西アジア調査隊も勤め。小山晶之(私)は、京焼き清水焼連絡協議会(当時6団体の青年部)元副議長で200名が参加した陶芸集団「チェラミスタ」の代表幹事の一人。京都府作家協会・民族芸術学会会員

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