2006年08月27日
「女坂で伝説になった陶芸家」
京都近美の「富本憲吉展」この、先生の美大の教え子で伝説になったのが、加茂田章二
この人もちろん独特の色彩の石器のような独自の作風で一世風靡したのに、若くして亡くなった。
彼は、美大卒業後「日立」の陶磁器研究所の工房に就職し、独立するが、学生時代に多くの奇行乃伝説が数多く残っている。
学生時代を一緒に過ごした父は、(父は、先輩で助手になったが)彼が実は酒が実に弱かった。と証言する。東山七条。通称「女坂」の奥の下宿していたが、寄っている為様々な奇行でしばしば警察のお世話になった。「パンツ1枚で、市電に乗車拒否され、そのまま後ろにぶら下がって四条河原町で、交通整理の真似事。さらに馴染みの「築地」にコーヒー飲みにいったが、パンツ1枚の為、入店拒否。
挙句に看板のたるを階段上から転がして入り口出入り不能にしたり。すべて悪気なしの悪戯精神。
何しろ、当時芸大の学生は、仮装行列で四条を歩きまわって、動物園の像まで借り出すハチャメチャぶり。それがゆるされた良き時代。でも女坂では、しょっちゅう痴漢と間違われていたそう。
本人、ただの酔っ払い。酒に弱いだけです。
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この人もちろん独特の色彩の石器のような独自の作風で一世風靡したのに、若くして亡くなった。
彼は、美大卒業後「日立」の陶磁器研究所の工房に就職し、独立するが、学生時代に多くの奇行乃伝説が数多く残っている。
学生時代を一緒に過ごした父は、(父は、先輩で助手になったが)彼が実は酒が実に弱かった。と証言する。東山七条。通称「女坂」の奥の下宿していたが、寄っている為様々な奇行でしばしば警察のお世話になった。「パンツ1枚で、市電に乗車拒否され、そのまま後ろにぶら下がって四条河原町で、交通整理の真似事。さらに馴染みの「築地」にコーヒー飲みにいったが、パンツ1枚の為、入店拒否。
挙句に看板のたるを階段上から転がして入り口出入り不能にしたり。すべて悪気なしの悪戯精神。
何しろ、当時芸大の学生は、仮装行列で四条を歩きまわって、動物園の像まで借り出すハチャメチャぶり。それがゆるされた良き時代。でも女坂では、しょっちゅう痴漢と間違われていたそう。
本人、ただの酔っ払い。酒に弱いだけです。
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Posted by こやまあきゆき at
02:04
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