2007年01月06日
京焼・清水焼連絡協議会の思い出
京都府陶工訓練校時代に、運筆という水墨画の講座が、訓練校で夜開かれていた。主催は、京都府陶磁器組合青年部。俗に「五条青年会」と呼ばれる、五条坂周辺の陶磁器製造業者の若手のメンバーの会である。青年部とはいっても40代位は会員になっている。つまり親会には、親が入っているので、子供は40代でも青年部にいるのだ。五条の陶器祭りのときに、いつもTVで紹介されるのが、青年部の店。なにしろ地域のいろんな作品が集まり、威勢がいい。私は、運筆を習ったことから、メンバーと出会い。私の生まれた登り窯のあった泉涌寺の家は、もともと窯元の母方の敷地の一角にあたり、五条坂から移り住んだ。特に京都の陶工は、他府県から明治以降に移住した者が多く。岐阜や愛知県(美濃・瀬戸・常滑)方面からの移住組みでは、最初の頃に成功した草分け的な家だったので、五条青年会に入会を勧められて参加した。一時期副議長も勤めた。高木さん。堀尾さん。井上さん。他皆さんお世話になりました。残念なのは、後輩で三浦竹泉を継ぐ三浦直人がこのとき私の紹介で参加してくれたのだが、若くして他界した。実に実直な性格で、明るい笑顔が今も忘れられない。たちきち本店や、府立文化芸術会館での「陶展」。京都市ギャラリーでの協議会での展覧会などで、日吉・泉涌寺・清水焼団地・炭山のメンバーとも交流できたのは、京焼きを理解する上でいい経験だった。