2007年01月22日
人間国宝 近藤悠三先生の想い出
近藤悠三先生は京都芸大の学長。人間国宝。染付けの悠三。で有名だが、私の明確な記憶は、想い出というより、1枚の写真に始まる。それは、父で後に京都芸術大学名誉教授にもなる父小山喜平が、京都美大の時代、染色家の中井貞次先生と中近東の調査から帰ってきた時、今の御池あたりか、父を迎えに行った中に、近藤先生と私がいっしょに写っている。写真では、ただただ私は嬉しそうに写っているが、実は、真っ黒に日焼けして、髭面の父をみて私は、この人がお父さん?と半信半疑になるほど、戸惑っていた。ただただよく見知った父の友人でもある美大の先生方や、集まった多くの出迎えの人々の歓声の中、父がバスから降りて来た。そのことがただただ嬉しく、はしゃいでいた。そんな中、一人第三の男のような格好で、厳しい目をしておられる近藤先生が印象に残った。富本憲吉先生が、ロンドンから博覧会の調査の助手でエジプトからインドを調査され、その弟子の父がインドから中近東(トルコ・イラン)更にギリシャまで調査。後に、近藤先生と2人で中近東へ。更に京大の吉田光邦先生と第5次京大西アジア調査隊隊員として研究を続ける事になる。不思議と近藤先生の時代に様々な変化に出会っている。先生の長男、近藤豊さんは父の同僚。次男の近藤潤先生も映画の世界におられた頃から家に遊びに来られていた。私が、その息子さんの近藤高弘君とチェラミスタ運動で行動を共にするのも不思議なご縁である。
Posted by こやまあきゆき at 00:12│Comments(0)
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