2007年06月19日
前衛舞台芸術の源流「バレエ・リュス」の世界
京都は、日本の伝統芸術の様々な舞台が、常に鑑賞できる街だが、『京都劇場』『アートコンプレックス』『京都芸術センター』『京都芸術劇場』と続々舞台が広がって、まさに演劇・ダンスの発信源になりつつある。同時に『京都舞台芸術協会』も設立され、多様な舞台での、斬新な試みも『京都芸術センター』で、地道に取り組まれている。
1909年。20世紀の舞台芸術に、革命的舞踏集団がパリで旗揚げした。
『バレエ・リュス』日本では、「ロシア・バレー団」とも訳されている。
これは、国としてのロシアのバレー団という意味ではない。まず第1に彼らの舞台は、音楽・舞踏・美術が一体となった、総合芸術として、それまでのバレーの常識をすべて覆すほどの斬新なものであった。一つの意図として、彼らの中心的存在であったセルジュデアギレフが志したのが、英仏伊西葡蘭などの俗に西欧文化の中で育ったバレーという舞踊の世界に、スラブや古代エジプト・古代ギリシャなどの異文化のエッセンスを、モチーフとして取り入れた事。彼らの舞台は、やがてアジアを含む、様々な異文化のモチーフやエッセンスをそれまでの伝統的西欧文化に取り入れる斬新な試みとなって、アバンギャルドやアールデコといった、新しい世界が生まれてくるきっかけになった。
私は思うのだが、今日映画や映像の世界は、地域や文化を超えて飛び交っているが、舞踊という一つの舞台や演劇は、一つの確立された価値観をベースに構成されていたものに親しんでいる人にとって、時に異次元・異文化の世界を擬似体験する環境を与えると同時に、様々な刺激を与え、新しい文化創生に大変良い刺激を与えてくれる。当時、見知らぬ偏狭の地を舞台にした様々な世界を、舞踏として鑑賞した人々にどれほど大きな衝撃を与えたか。情報過多の現代人には、創造をぜっするものだ。今回、『京都国立近代美術館』で開かれた、この展覧会を、現代人の目で見る一方で、当時の人の取り巻く環境の中で、どれほど衝撃的だったかを、いろいろ思いながら鑑賞すると、今、私たちにとっての斬新な世界とは何かが見えてくるように思う。
1909年。20世紀の舞台芸術に、革命的舞踏集団がパリで旗揚げした。
『バレエ・リュス』日本では、「ロシア・バレー団」とも訳されている。
これは、国としてのロシアのバレー団という意味ではない。まず第1に彼らの舞台は、音楽・舞踏・美術が一体となった、総合芸術として、それまでのバレーの常識をすべて覆すほどの斬新なものであった。一つの意図として、彼らの中心的存在であったセルジュデアギレフが志したのが、英仏伊西葡蘭などの俗に西欧文化の中で育ったバレーという舞踊の世界に、スラブや古代エジプト・古代ギリシャなどの異文化のエッセンスを、モチーフとして取り入れた事。彼らの舞台は、やがてアジアを含む、様々な異文化のモチーフやエッセンスをそれまでの伝統的西欧文化に取り入れる斬新な試みとなって、アバンギャルドやアールデコといった、新しい世界が生まれてくるきっかけになった。
私は思うのだが、今日映画や映像の世界は、地域や文化を超えて飛び交っているが、舞踊という一つの舞台や演劇は、一つの確立された価値観をベースに構成されていたものに親しんでいる人にとって、時に異次元・異文化の世界を擬似体験する環境を与えると同時に、様々な刺激を与え、新しい文化創生に大変良い刺激を与えてくれる。当時、見知らぬ偏狭の地を舞台にした様々な世界を、舞踏として鑑賞した人々にどれほど大きな衝撃を与えたか。情報過多の現代人には、創造をぜっするものだ。今回、『京都国立近代美術館』で開かれた、この展覧会を、現代人の目で見る一方で、当時の人の取り巻く環境の中で、どれほど衝撃的だったかを、いろいろ思いながら鑑賞すると、今、私たちにとっての斬新な世界とは何かが見えてくるように思う。
500円南座舞台見学
『都をどり』『京をどり』『北野をどり』4月開始
同志社寒梅館で「オリオン座の招待状」上映会
河原崎國太郎さんを囲むお食事会
映画「日本の青春」同志社と京都教育センターで上映会
6月3日「チャップリンのモダンタイムス」
『都をどり』『京をどり』『北野をどり』4月開始
同志社寒梅館で「オリオン座の招待状」上映会
河原崎國太郎さんを囲むお食事会
映画「日本の青春」同志社と京都教育センターで上映会
6月3日「チャップリンのモダンタイムス」
Posted by こやまあきゆき at 22:22│Comments(0)
│演劇・舞台