「京都府陶磁器会館」で京焼を見る

こやまあきゆき

2013年04月11日 20:58

清水寺参道、周囲には傾斜を利用した登り窯がたくさんあった。
現在も「SANTIAGOカフェ&ゲストハウス」のある藤平陶芸や「京都府陶磁器協同組合」の窯や「河井寛次郎記念館」の中に保存されている。

明治の頃まで、「京焼」を代表する三条蹴上げの「粟田焼き」が西洋技術導入の結果衰退したのに対して、陶器に加え磁器染付から創作陶芸まで茶陶に代表される高級一品を作り続けてきた「清水焼」は、京焼の代名詞にまでなった。

京阪五条駅から清水寺までの五条坂・茶碗坂には、今も名家が軒を連ね、扱う専門店も並んでいる。

その京都の五条を中心に日吉地区・清水焼団地などに展開する「京焼・清水焼」の作家達の作品が一同に集めらられているのが「京都府陶磁器会館」である。日吉地区は北陸九谷などから写ってきた大型の工房が多いが、煎茶器の名家「井上春峰」などそれぞれ染付や色絵の名家ばかり。清水焼団地や宇治炭山地区は五条などから大きな工房を求めて五条の自宅と別に移った名家が並ぶ。特に3つの工芸村がある炭山には独立性の高い個性派の村・北欧クラフト工房を思わせるおしゃれな共通のデザインの工房が並ぶ村・登り窯を焼くために五条から移った京焼炭山と3地域が競い合う。

そんな中、独自に「青窯会館」を持つのが泉涌寺地区。私のふるさと日赤裏の「黒門さん」もかつては1000坪近く有り、2つの登り窯が敷地内にあった。現当主は叔父の鈴木爽司。華麗な色絵花鳥画が美術館などにもコレクションされている。
今日は、制作中の工房を訪ねた。ろくろでひかれた大皿が並び、立体的な花器を制作中だった。毎年全国の日本の有名デパートで個展が予定されている。弟子も置かず黙々と制作に励む叔父は、最近まで飛行機に乗って大学に教えに行っていた。今は時間がいくらあっても足りないとの事で大学は辞退したようで、制作に全力で打ち込んでいる。

叔父の工房こそ人間国宝で文化勲章受賞者富本憲吉先生とその盟友祖父鈴木清の工房が並んでいた場所。
綺麗に整備せれているが、工房の中は昔のまま保存され叔父が使ってきた。文字通りパリ博覧会で銀牌を受賞した、京都で初めて磁器人形を制作し色絵を施した曽祖父鈴木清湖の時代に五条坂(現在の中条家)から移った場所だ。

京都は1番の陶芸の消費地でありその名品が全国から集められた町。
だからこそ最高の技術を学ぶために人も集まった。
それが「京都府陶磁器会館」に並ぶ。

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