日本近代陶芸の祖と富本憲吉先生が呼ばれる理由

こやまあきゆき

2007年01月27日 23:50

富本先生を、日本近代陶芸の祖と呼んだのは、美学の研究者達であるが、そう呼ばれてしかるべし訳がたくさんある。
1、美術館などでの美術展の対象が、日本画・洋画・彫刻であった時代、陶芸や染色・織・金工などの工芸は、職人の世界の匠の世界であり、創作的要素が多分に含まれていても、名工と称されても、芸術家と呼ばれる事はなかった。元々建築家で、東京の美術学校などの教授として、デザイン指導していた富本にとって、名建築を支えるグローバルな創作物の中に、絵画・彫刻の要素とともに、工芸の持つ要素は、同等であり、優れた仕事をするには、技術と創作性や独創性も含んだ、優秀な建築家・彫刻家・画家・工芸家時には造園家とか様々な人材が必要になる。ロンドン留学中に様々な欧州の美術運動・建築運動・工芸運動に触れ、工芸家が自分の展覧会を開いたり、専用ショールームを持っていたり、多様な価値観を持った作家が、時にクロスオーバーで交流し、刺激しあって活動している姿をみて、日本の徒弟制度のなかで、知識や技術が、一子相伝などで非公開になっている現状を憂慮していた。バーナードリーチとの出会いもさることながら、洋画の美術団体「国画会」に富本憲吉の部屋が設けられ、その作品が美術展の一角を占めたことは、画期的だった。

関連記事