富本憲吉 人間国宝と「伝統工芸・日本工芸会」

こやまあきゆき

2007年01月28日 01:07

富本が常に創作重視の美術工芸運動に取り組むなかで、衰退する地方の伝統工芸の惨状に憂慮していたのが、国の技官でもあり、石黒宗麿と鉄釉などの研究など古陶磁器研究でも知られていた小山冨士夫である。小山冨士夫は、富本の工房に通い、伝統文化・技術等の保護育成の手段として優れた作家を国が認定して保護する人間国宝制度の制定や伝統工芸展の開催の助言を求めている。工房で富本先生に質問し、その対策を理詰めで順に説明する富本と小山冨士夫のやりとりを、父小山喜平や祖父鈴木清はいつも聞いていた。その時の助言が今日の制度にたくさん生かされている。たとえば、日展が東京と京都の美術学校出身者が芸術院の中心に多くいるのに対して、地方出身者は、作品を見てもらうために上京する、2元を頂点とするピラミッド的構造に当時陥りやすかった点を指摘して、人間国宝は、全国の技芸別に一人選出されているので、保護する価値を認められた様々な分野から、その地方に1人選出される。また選出には、段階的複数の選抜を経なければならず、美学の研究者など、作家以外の専門家を審査員に加えて、特定の家系に有利になるような事のない様に配慮されている。さらに、一人の仕事か団体仕事かを明確にしているので、柿右衛門窯のように、当主個人でなく、窯の仕事に与えられている場合もある。これらの助言をたくさんしていた富本が、人間国宝になるのは、自作自演になる。当然本人は、自分が選出される事は、徹底的に辞退している。しかし、小山の最後のくどき文句は、人間国宝は新しい制度で、まだ世間的にまったく認知されていない。芸術院会員のように、最高の人物がもらうタイトルと評価されるには、まず誰がもらうかで決まってしまう。それには、元芸術院会員でもあった富本憲吉しかいない。つまり芸術院を脱退した富本がもらう位格のある賞であることで、「人間国宝」に選出される人物が、いかに高いレベルかの基準になる。
結局小山の再三の要望で受理することになる。無所属でも、当時日本で最も高く作品が売れるダントツの人気作家に新しいタイトルがついた。それは、「文化勲章」のステップだったのかもしれない。

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