2006年08月19日
遠州流と宇治の朝日焼
今日、遠州流の宗家の方でも、戦争中は出征しなければならなかった為、戦後もロシアでご苦労されたのに、茶室を作る知識が、現地で生かされて、ご苦労の中も帰ってこられた。というお話を、事情をよく知る方からお伺いした。そんなことから、遠州流が、大名茶の好みを受け継いでおられる事と、遠州好みの七窯の一つが、宇治の朝日焼であること、現在の朝日焼の当主は、京大出とかで、陶器の窯でも、科学的にも研究しておられる話。
実は、私も訓練校と工業試験場の出身で、楽さんもそうだが、大先輩に当たり、学生時代に見学に寄せていただき、貴重なお話をたくさんお伺いした。
京都の町のすごいところは、利休居士ゆかりの三千家と大徳寺。以外にも、建仁時・萬福寺のような煎茶ゆかりの寺院。他にも多彩な伝統がすべて受け継がれている事だ。
そういえば赤膚焼を受け継いでいるのもすべて、私か父の友人(陶磁器の学生時代の)だった。
実は、私も訓練校と工業試験場の出身で、楽さんもそうだが、大先輩に当たり、学生時代に見学に寄せていただき、貴重なお話をたくさんお伺いした。
京都の町のすごいところは、利休居士ゆかりの三千家と大徳寺。以外にも、建仁時・萬福寺のような煎茶ゆかりの寺院。他にも多彩な伝統がすべて受け継がれている事だ。
そういえば赤膚焼を受け継いでいるのもすべて、私か父の友人(陶磁器の学生時代の)だった。
Posted by こやまあきゆき at 01:56│Comments(0)