2006年06月07日
円山流の由来
誰もが知っている、円山公園。しかし円山の由来を知る人は少ない。
公園の東の奥に「安養寺」というお寺がある。もともと天台宗のお寺として開かれ、現在は、鎌倉時宗のお寺。その号が『円山』。実は、浄土宗の法然上人。浄土真宗の親鸞上人が修行されたお寺でもある。江戸時代六つのお寺が料理屋になていった。現在も残る。「左阿弥」さんはその1つ。他に「正阿弥」「重阿弥」「眼阿弥」があり、明治5年に洋館がひらかれた「中村楼」。10年に「自由亭」。これに続いて、残りの2つ、「也阿弥」「連阿弥」を長崎商人井上萬吉が買い取り、京都で最初の洋式ホテル「也阿弥ホテル」が開館した。分家の「常盤ホテル」が現在の「ホテル京都オークラ」。残念ながら、明治時代に2度の火災によって、現在は、「東観荘」の一部に「也阿弥」の名を残す。
「東観荘」の女将であった吉川妙佳さんの時代に「円山陶芸倶楽部」が、奥座敷に誕生。井上萬吉のひ孫井上よしたか氏が、円山陶芸協会の会長。(3代目円山倶楽部会長)
公園の東の奥に「安養寺」というお寺がある。もともと天台宗のお寺として開かれ、現在は、鎌倉時宗のお寺。その号が『円山』。実は、浄土宗の法然上人。浄土真宗の親鸞上人が修行されたお寺でもある。江戸時代六つのお寺が料理屋になていった。現在も残る。「左阿弥」さんはその1つ。他に「正阿弥」「重阿弥」「眼阿弥」があり、明治5年に洋館がひらかれた「中村楼」。10年に「自由亭」。これに続いて、残りの2つ、「也阿弥」「連阿弥」を長崎商人井上萬吉が買い取り、京都で最初の洋式ホテル「也阿弥ホテル」が開館した。分家の「常盤ホテル」が現在の「ホテル京都オークラ」。残念ながら、明治時代に2度の火災によって、現在は、「東観荘」の一部に「也阿弥」の名を残す。
「東観荘」の女将であった吉川妙佳さんの時代に「円山陶芸倶楽部」が、奥座敷に誕生。井上萬吉のひ孫井上よしたか氏が、円山陶芸協会の会長。(3代目円山倶楽部会長)
Posted by こやまあきゆき at 03:42│Comments(0)