2007年01月28日
富本憲吉と「国画会」
富本憲吉の出品のあと、工芸部が創設される事で、それまで陶工として活動していたどちらかといえば、美術学校などでも勉強していた窯元の息子が多かったが、自らの創作的作品(といっても伝統を踏まえたものに、ほぼ限定されていた時代だったが、意欲的な陶工のなかに、出品する人たちが出てきた。私の祖父鈴木清もその一人。山田喆らもそうなら、民芸運動のリーダーとなる河井寛次郎・濱田庄司らもその一人。やがて創作思考の富本を中心とする鈴木清らと民芸派の河井・浜田らは別行動を取る事になり、民芸派は民芸館に活動の舞台を一時移すが、結局国画会に復帰して、創作の第1部と民芸の第2部の2部制になり、やがて富本の次の舞台「文展」への移行のなかで、国展は、民芸派のホームグランドになる。
Posted by こやまあきゆき at 00:03│Comments(0)
│富本憲吉先生