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アート/芸術  |東山区

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プロフィール
こやまあきゆき
こやまあきゆき:陶芸家 
「円山陶芸協会」代表
「民族芸術学会」会員〔食文化)
「ふるさとテレビ顧問」(農水省外郭団体)
「NPO京都生活環境つくり21」理事
財団法人「うどんミュージアム」館長
陶芸集団チェラミスタ代表幹事
長尾谷高校・つくば開成高校元講師。(陶芸)
京都市公立小学校他で約15年間陶芸指導。
京都市工業試験場陶磁器研修科終了。
京都府陶工訓練校専攻科終了。
京都産業大学外国語学部卒業。京都生まれ。
財団法人「京都国際学生の家」OB
「京都市展」「日展」ほか200回以上の展覧会に出品。
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Posted by 京つう運営事務局 at

2006年10月19日

下絵具の作り方。

基本的に、下絵具は泥絵具で、白い粘土に発色剤の金属を加えると出来ます。泥で使うと「色化粧」にもなります。基本として、陶器の場合は信楽土のような白土。磁器用の場合は、磁器土の乾かしたものに、顔料(調合して高温で焼いたトルコ青とかプラセオ黄とかピンクのトウシコウとか金属のクロム(黄緑))の場合1割前後。コバルトは、3%位で発色する。顔料の場合は、黄とピンクの中間色とかトルコ青とピンクの中間色とかも可能。しかし、昔は、顔料が金属かその成分を含んだ石(または鉱石)しかなかった為に、大変な苦労をして調合したことは、想像を絶する。
いまでは、チューブの絵具も販売されているが、自分の色を求めての研究は、やはり個々の努力の賜物。各窯業地の工業試験場でも実験が繰り広げられており、原料メーカーの「イワサキ」などでも、原料に色見本などが展示してある。これは、所詮、原料すべてが天然の常に変化するものを、使っているからに他ならない。地球上に変化しない普遍の物質は自然界には存在しない。人類が、加工という手段で、同質に近い物を量産しているにすぎない。  

Posted by こやまあきゆき at 23:55Comments(0)円山流陶芸技法

2006年10月19日

上絵と金銀彩

京焼き展が開催しているので、基本知識として、絵付けと金銀彩について書きましょう。
基本的に、器を、800度ぐらいで素焼きした、すぐ絵具で書く下絵付けは、その上に釉をかける為に、釉の下に絵が書いてある為で、釉は、1230~1300度位で焼いた上に、絵付けをして、再び800度くらいで焼く絵付けを、上絵付け。といいます。赤・青・緑・黄のうち、赤と黄は、鉄。緑は、銅。青(紺)は、コバルト。これが昔の絵付けの基本です。最近は、様々な金属も使われていますし、セレンの朱色なども、クラフトによく使われていますが、特に変わったのは、金と銀です。元々金は、赤絵を焼いた上に塗り重ね、わずかに赤が溶けて金を引っ付けていたので、こすると取れやすく。焼く温度が上りすぎると、金は、赤絵の中に溶け込んでしまいました。最近の金は、水金と呼ばれ、いっしょに熔ける成分にふくまれており、銀もバナジューム銀とよばれる溶液で銀色に見せていますが、メタリックぽいもので、本物の金銀は、高価な一品物にしか使われません。しかも銀は、時間と共に黒く変色する為に、これを変色ささない為に、プラチナをつかったのが、最初の人間国宝「富本憲吉」です。  

Posted by こやまあきゆき at 23:38Comments(0)円山流陶芸技法

2006年10月19日

京焼き・・・京都国立博物館

京焼きというと、すぐ清水焼ですか?と聞かれる。元々京焼という言葉は、京都の多彩な陶磁器の文化を。グローバルに表現するために使われるようになった。
今、京都の東山七条の国立博物館で、その「京焼ーみやこの意匠と技ーhttp://www.kyohaku.go.jp/」展が開催されている。
そもそも京都には、平安京が遷都される前から、渡来系を中心に、各地に集落が形成されていた。八坂氏・小野氏・出雲氏・秦氏・加茂氏・土師氏・・・もともと出雲氏は、出雲の国から。加茂氏は大和といわれているが、土師氏は菅原氏に結びつく土師器を祭器に作らせた一族で、配下に土師器を作る人たちを抱えていたことは間違いない。岩倉には。近年まで須恵器以来カワラケを作る家があった。修学院焼・御室焼や、大仏瓦の伝統もある。東山の黄土を原料に粟田焼と呼ばれる焼き物が、仁清風の焼き物の原点とおもわれるが、京焼きの多くが、消費地京都に各地から運ばれた原料と職人達の技の競演であったことを明記しておきたい。京都は、最高のものを見極める町であり、それに答える職人のたゆまぬ努力の結晶が、京焼きの真髄だと思う。  

Posted by こやまあきゆき at 23:09Comments(0)陶芸美術史・陶芸運動