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アート/芸術  |東山区

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プロフィール
こやまあきゆき
こやまあきゆき:陶芸家 
「円山陶芸協会」代表
「民族芸術学会」会員〔食文化)
「ふるさとテレビ顧問」(農水省外郭団体)
「NPO京都生活環境つくり21」理事
財団法人「うどんミュージアム」館長
陶芸集団チェラミスタ代表幹事
長尾谷高校・つくば開成高校元講師。(陶芸)
京都市公立小学校他で約15年間陶芸指導。
京都市工業試験場陶磁器研修科終了。
京都府陶工訓練校専攻科終了。
京都産業大学外国語学部卒業。京都生まれ。
財団法人「京都国際学生の家」OB
「京都市展」「日展」ほか200回以上の展覧会に出品。
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2007年02月27日

相国寺に伊藤若冲が帰ってきます。

大本山『相国寺』は『金閣寺』『銀閣寺』を持つ大寺院。詳しくは、見ているだけで勉強になるHP作っておられるのでそちらを参照してください。http://www.shokoku-ji.or.jp/
なぜここで若冲展が開かれるのか?それももちろん訳ありです。歴代御住職の一覧を見ると
夢窓疎石開祖125世の次に126世ではなく特住1世『独園承珠』の御名が。そこを見ればわかります。なぜ『若冲展』か。http://www.shokoku-ji.or.jp/jotenkaku/person/dokuon_joju.html  

Posted by こやまあきゆき at 00:32Comments(0)京都の展覧会情報

2007年02月24日

南座ミュージカル「阿国」

その衝撃は、今も忘れまい。『阿国歌舞伎400年』の年、京都は『阿国』で爆発した。四条の鴨川の東岸にも舞台が再現され、北野天満宮では、4つの公演が開かれた。そんな中『南座』でミュージカル?正直最初はとまどったが、木の実ナナさん・池畑慎之介さん・・・・すごいにぎやかな顔ぶれ、新しい時代の幕開けを感じたし、出来れば毎年公演してただければと思った程だ。その『阿国』がようやく帰ってくる。3月3日~29日までの「新橋演舞場」に続いて、4月3日~15日が『南座』公演。また南座が揺れ動きそう。http://www.shochiku.co.jp/play/minamiza/index.html  

Posted by こやまあきゆき at 00:16Comments(0)演劇・舞台

2007年02月24日

むささび団公演inアートコンプレクス1928

桂高校演劇部OBによって結成された劇団「むささび団」の公演が、24日・25日「ART/COMPLEX1928」で上演される。「むささび団」とは不思議な名称だが、「極楽むささび団」から取ったという。
この劇場は、小原さんが実験的な新しい試みとして取り組んでいる劇場だが、元々建築家若林さんとの交友から生まれたとご本人から聞いた。元々関東で活躍されていて、現在は、京都のみならず関西に着々と活動の輪を広げておられる。今年からダンススタジオなど、利用方法が更に公開されて、使いやすくなったので、今後益々新しい演劇の震源地となるだろう。
「むささび団」http://musasabidan.hp.infoseek.co.jp/kinfo.html
「ART COMPLEX1928」http://www.artcomplex.net/ac1928/  

Posted by こやまあきゆき at 00:01Comments(0)演劇・舞台

2007年02月23日

北座と一力亭と万亭

京都の南座の向かいにある「北座」。八橋の「井筒屋」さんの建物。しかし屋根には、「南座」と同じように家紋などがある。現在の形は「阿国歌舞伎400年」を記念して改装された。色々なお話しを総合すると、「井筒屋」さん(津田家)は、元々、大石蔵之助が世間を欺く為に遊興にふけった「万亭」(伏見)を経営していたのだそうだ。祇園に移って「一力亭」と改められ、これを譲って四条の北に「井筒屋」の芝居小屋を開いたそうだ。この界隈には、無数の小屋が出来たそうだが、その中で芝居小屋として幕府から正式に許可を受けた7軒だけが、家紋などを屋根に付ける事を許可された。しかし時代の流れの中やがて4つになり、「北座」「南座」となり、最後に「南座」が残った。つまり「井筒屋」は、れっきとした「北座」のルーツだった。「一力亭」の格式の高さもうなづけるところ。  

Posted by こやまあきゆき at 23:30Comments(0)演劇・舞台

2007年02月23日

近世都の工芸・京都文化博物館

2月24日(土)から3月31日(土)まで、三条高倉の「京都文化博物館」で、「近世都の工芸」展が開催される。京焼の手本として「仁清写し」という言葉もある『野々村仁清』や『尾形光琳』『尾形乾山』『青木木米』『本阿弥光悦』を始めとする、京都の陶磁器・染色・漆芸を一望できる。
そこで、やはり陶芸家の立場で、見所と一つとして、茶道との関係を述べておきたい。日本の工芸は、桃山時代に大きな華を咲かせた。しかし南蛮・信長・秀吉に代表される豪華な大名茶や建築との関連の文化と、茶道から起こった「ワビサビ」に代表される文化という相反する美意識が工芸技術の進歩の中で、各々の道を歩み始める。一つの参考までに茶道の創生期の系譜を記しておく。
茶祖    村田珠光
弟子    志野宗信・北向道陳・牡丹花肖柏・志野道耳・足利義政
志野道耳ー武野紹鷗-その弟子ー今井宗久・千利休・細川幽斉・津田宗達
千利休の弟子
       山上宗二・古田織部・南坊宗啓・荒木道薫・高山右近・芝山監物・瀬田掃部・細川三斉
       織田有楽・藪内剱仲・千少庵・織田信長・豊臣秀吉・千道安
千少庵(以後直径)ー千宗旦(元伯)-江岑(表千家の系譜へ)・・・隋流・尾形乾山
                 同上  -仙叟(裏千家の系譜へ)・・・
                 同上   ー一翁(官休庵の系譜へ)・・・
                 同上 他にー松尾宗二・三宅喜斎・山田宗徧・杉木臣普・藤村庸軒
千道安ー金森長重ー金森宗和
  同上-桑山宗仙ー片桐石州ー松平不昧公
古田織部ー近衛信尋・徳川秀忠・本阿弥光悦・小堀遠州
小堀遠州ー松花堂昭乗・徳川家光・江月・沢庵

上記○ー△・▲・▽は、△・▲・▽が、○から共に茶を伝授された事を指しているが、茶道は千家が三千家として、それぞれ研鑽を続けていく中でより確立された道と、織部などから展開する大名茶の道でそれぞれに文化が花開く。また、初期においては、大名や時の権力者が大きな役割をになっている為に、単純に子弟関係というだけの位置づけでは表現できない。この図は、あくまでも近世工芸展に登場する人物の関係図の参考にしていただく為に記する物である。京都には、茶道資料館や楽美術館、野村美術館などで専門的に学ぶ事が出来る。また「淡交社」からは、多数の専門書が出版されているのでより詳しく調べたい方は、そちらでお調べ下さい。尚、三条と四条の真ん中ぐらいの河原町の東側に、お茶関係の本の専門店があります。ご参考までに。  

Posted by こやまあきゆき at 00:23Comments(0)京都の展覧会情報

2007年02月21日

京都の陶芸教室2「ゆう工房」

なんと高島屋の西の並び、京極の四条出口の南向かいと京都のど真ん中の繁華街にある。
下から見えるのでおもしろい。体験入学あり。ところで、パンフの顔に泥つけたかわいい女性どこにいるの?http://www.yukobo.co.jp/kyoto.html
銀のアクセサリーなども学べる。  

Posted by こやまあきゆき at 01:25Comments(0)陶芸倶楽部・教室・学校

2007年02月21日

京都の陶芸教室「シンポ陶芸アカデミー」

電気ロクロといえばシンポ。そのシンポの陶芸教室が、烏丸二条下がったところに有る。ロクロメーカーだけに設備も充実。実は、父、小山喜平も顧問の一人。中心部で働く方には、便利。
http://www.nidec-shimpotougei.jp/
  

Posted by こやまあきゆき at 01:20Comments(0)陶芸倶楽部・教室・学校

2007年02月21日

京都の陶芸倶楽部 5「賀茂窯」

上賀茂御薗橋の東岸を下がるとそこに素敵な工房がある。喫茶空間にもなっているが、ここで鴨川に面して楽焼きやいたり、ロクロ楽しんだり出来る。若い人の素敵なたまり場。2階から見渡す鴨川もいい。植物園のもっと北と考えてください。
http://www.kamogama.com/  

Posted by こやまあきゆき at 01:13Comments(0)陶芸倶楽部・教室・学校

2007年02月18日

人間国宝 清水卯一先生の想い出

清水卯一先生のご自宅はご存知五条坂の東大路よりやや西の北側にある。先生が土を求め、薪で焼く窯を求め滋賀県の蓬莱に移られて、この地の自然の材料を駆使して取り組まれたのは有名がだ、石黒先生・木村盛和先生らとの交友。鉄釉の研究。天然の灰釉のダイナミックな作風。何よりも叔父鈴木卓司・友人で先生の弟子の猪飼祐一を通して聞いていた先生像と、実際お会いしてお話をお伺いするようになって私自身、土・窯、焼き物の持つ原点をこれほど直接的に感じさせてくださった方は珍しい。私自身、陶芸の世界に入る最初の興味が鉄釉の研究からだったし、先生と発表の場が違ったが、「日展」初入選作品の『回想』は、松の木の灰を使った釉によるものだった。天然灰や鉄釉におもしろい物が出来ればできるほど、造形を複雑にするよりシンプルイズベスト。しかし、肌に素材の荒々しさが残った方が、おもしろい変化を生み出す事など経験していく内に、先生の作品の魅力が見えてくるようでわくわくしたのを覚えてる。もっとたくさんの作品を残していただきたかった。  

Posted by こやまあきゆき at 00:07Comments(0)陶芸家

2007年02月13日

小山喜平・吉田光邦京大第5次西アジア調査隊

私が、小学生の頃、父はいつもシルクロードの砂漠を車で走り回っていた。京都芸大に籍があったが、京都教育大学でも陶芸を教え、京大の人文の所長にもなられた吉田先生とも1年ほど中近東に行っていた。京大考古学の水野先生の研究調査。様々な資料と想い出。私が「バーミアン」の西の大仏を作ったのもこの時の研究の影響だ。パキスタンのパターンの村。武器を作っている村に連れて行かれたことも。首都建設現場に現地の役人と間違われて入れたことから、同行していた新聞記者が世界的スクープの写真を撮った話し。つり橋から車ごと転落しそうになった話。バーミアンが階段で上まで上れて、上から周囲の景色を見た時の話し。父の話は実に楽しい。現役の教官時代、京都芸大や教育大の学生がいつも遊びに来ていた。帰国直後の父は、長い髭と真っ黒な顔。とても日本人にも父にも見えなかった。朝日新聞に現地からの写真と記事が連載されていた。私はお陰でシルクロードの食文化の研究を始めたのだった。  

Posted by こやまあきゆき at 03:19Comments(0)陶芸家 京芸大名誉教授 小山喜平

2007年02月13日

笹川さんからキムイルソンさんまで。

陶芸家の作品は、手から離れると一人歩きする。父の作品は、奈良の「富本記念館」ははじめ、公的機関にもたくさんある。伏見の保健関係の建物の陶板壁画の作品もある。しかし、展覧会で買われた方からの後お話で、聞くところによると、モターボートで有名な笹川さんとこにも、北朝鮮のキムイルソンさんとこにも行ったそうだ。確かに祇園十兵衛さんや鰻の梅の井さんの店でも飾ってあって、偶然で作品に出会ったこともある。そういえばロックフェラーファミリーも遊びにきたっけ。  

Posted by こやまあきゆき at 03:19Comments(0)陶芸家 京芸大名誉教授 小山喜平

2007年02月13日

小山喜平と吉田光邦京大第5次西アジア調査隊

京大の研究紀要でも出ているが、父と吉田先生〈京大人文の所長のもなられた)2人での研究の時何度も命がけの場面に直面している。映画の場面のように吊橋から車で転落しそうになったり、武器作りの村人に突然取り囲まれて村まで連衡されたり、バーミアンの仏像の階段を登って上からの景色を見渡した話しとか。お陰で私は「バーミアンの西の大仏」を作ったのだ。〈大丸ミュージアム出品)しかし、私がシルクロードの食文化の研究をしているのは、他でもない父小山喜平の影響だ。  

Posted by こやまあきゆき at 03:11Comments(0)陶芸家 京芸大名誉教授 小山喜平

2007年02月13日

天麩羅屋さんの女性が仏像70体で展覧会

東山区の白川〈三条と四条の間)縄手東入る〈新橋〉というお茶屋さんの南通りを、縄手はら東入ると。ギャラリー「おおざわ」で、オーナーの大澤教光さんが、仏師「松久朋琳さんに入門して彫った仏像70体の展覧会を開いている。14日までなので是非見てね!  

Posted by こやまあきゆき at 02:27Comments(0)京都の展覧会情報

2007年02月10日

京都の陶芸倶楽部 4「祇園久智作陶芸倶楽部」

祇園郵便局の南に、かつてこの郵便局を経営していた小垣家の家業八源酒店のビルがある。2階にお店の他に陶芸ギャラリーもあるが、実は3階が教室。窯もある。岡田保博はかつての小山の器研究会のメンバーで陶芸の大先輩。影山明は芦屋の滴水でも指導するが、かつて円山陶芸倶楽部を手伝ってくれたことも。実力はの2人が交互に指導。  

Posted by こやまあきゆき at 01:23Comments(0)陶芸倶楽部・教室・学校

2007年02月10日

京都の陶芸倶楽部 3「西陶芸倶楽部」

イタリアファエンツァで4年間陶芸を学び、京都の工業試験場出身の西は、陶芸集団「チェラミスタ」の名付け親でもある。上賀茂の社家の一角のアトリエは、地域の人たちの交流の場。奥さんも訓練校で絵付けを学んだ絵付師。鬼瓦的アートで、「現代工芸展」などでも活躍。イタリアで出会った、深見・森田らとの交流。チェラミスタのメンバーとの交流もあるが、独自の道を進んでいる。円山陶芸倶楽部を手伝った縁で、小山とは親友。  

Posted by こやまあきゆき at 01:16Comments(0)陶芸倶楽部・教室・学校

2007年02月10日

京都の陶芸倶楽部 2六地蔵「プラナ倶楽部」

イトーヨーカ堂のトイメン。手作り家具「プラナ」の2階は、陶芸他様々な手作りの倶楽部がある。
実は、オーナーの北村るみと夫で中国が専門の立命館大学教授の北村稔共に、小山晶之の「くいしんぼう」仲間だった。そんなことから、六地蔵の活性化に取り組んだ当時の仲間達の中で、小山は陶芸を教えていた。当時参加したのは、現在の「ピカポロンツァ」のイゴール。「いやいやえん」の大槻や現プラナのスタッフ森脇などもいる。こうして「プラナ倶楽部」は北村るみを中心に、手作り倶楽部になった。陶芸指導担当の森里・浅見らは小山時代からの陶芸仲間。  

Posted by こやまあきゆき at 01:09Comments(0)陶芸倶楽部・教室・学校

2007年02月10日

京都の陶芸倶楽部 1「円山陶芸倶楽部」

京都市工業試験場で、プロの卵を指導する木村隆先生が、小山の紹介で設立。円山公園内「東観荘」の2階の奥座敷で、店の女将さんや料理長の勉強の場・店のお客様の親睦の場を兼ねて活動開始。先生の渡仏によって、文化サロンの担当の小山晶之にバトンタッチされたが、当時は、木村隆のクラス。佐藤恵子のクラス。目方智子のクラス。外国人対象の西貞幸のクラスの4クラスがあった。六地蔵のプラナ陶芸クラブや修学院(ギャラリーこすもすと連携)陶芸倶楽部の指導をしていた小山が、円山陶芸倶楽部を受け継ぐ為に、大改革によって、上賀茂に西が「西陶芸倶楽部」設立。佐藤恵子は「プラナ倶楽部」の責任者になり、木村は、「こすもす」との連携で、「修学院陶芸倶楽部」の会員とともに相国寺の北の施設に教室を移し、円山陶芸倶楽部は、3人から再出発した。住友銀行OBの三宅が初代会長。二代目がブレーン倶楽部の秋田が会長を務めたが、3代目の井上よしたかとの運命的な出会いにより、大きく動き出す。関電OBの井上は円山公園に明治時代にあった「弥阿彌ホテル」創業者の末孫。兄が『円山公園」の名前の由来となる「安養寺」の檀家総代。このお寺が親鸞聖人・法然上人修行のお寺。やがて30名を超えたメンバーは、東山の小山の生まれ育った泉涌寺に移った。現在小山喜平などが、指導。会長は4代目の辻 孝。やはり関電OB.  

Posted by こやまあきゆき at 01:01Comments(0)

2007年02月04日

「赤土社」革命的陶芸運動のさきがけ

「赤土会」京都に生まれたこの陶芸運動は、6人から始まった。日本にまだ美術展としての陶芸ジャンルが確立される前の先駆的活動。そのメンバーは、楠部弥一・鈴木清・叶光男・浅見隆三・宇野三吾・八木一そう(文字が検索できなくてすみません八木一夫さんのお父さん)後に個々の活動はすばらしい展開になる。  

Posted by こやまあきゆき at 01:19Comments(4)陶芸美術史・陶芸運動

2007年02月03日

小山喜平のペルシャ青釉

父の代表作が、シリーズ化されていた。ペルシア青釉。京都芸大や京大のシルクロード関連の工芸調査隊員だった父が砂漠でみたブルーのモスクの美しさが、あの青を生んだ。金属は銅で、中火度。これは、銅でお盆やテーブルを細工している粉を、が出てくるそうです。嵐に流されないでね!  

Posted by こやまあきゆき at 02:20Comments(0)陶芸家 京芸大名誉教授 小山喜平