2006年07月23日
ロックフェラーがやってきた。
学生のころ、実家の鈴木家に、世界の大金持ちのロックフェラーファミリーが突然遊びに来た。
護衛いっぱい。高級外車でも連ねて。と思っていたら、Gパン。
もともと留学生が工房の2階に下宿していたり、弟子にも留学生がいたり。
実は、京都は、東京など他より早く留学生を受け入れた町だ。
今では、どこの大学にもいっぱいいる。A大は200人B大は5百人とか。
そういえば、日本の皇太子様も留学してたし、友達つながりでGパンで遊びに行かれたかもしれない。
最近ようやくなんら人間変わらない事が、実際多くの人と会ってきてようやくわかってきた。
それだけに、飲み友達になって一緒に飲んでいたら、某国の大臣だったり、ただの酔っ払いの叔父さんと思っていたら、一流企業のトップだったり。世界的に有名なミュージシャンだったり。
知らないもんの強み。京都ってそんな人間ごろごろしている町だって改めて最近思う。
それと、学生時代京都で過ごして、大成功しても京都では、学生気分にもどるらしい。もっとも、ずっと京都でごろごろしている私は、学生気分から進歩ないまま・・・・・いまもごろごろ。
護衛いっぱい。高級外車でも連ねて。と思っていたら、Gパン。
もともと留学生が工房の2階に下宿していたり、弟子にも留学生がいたり。
実は、京都は、東京など他より早く留学生を受け入れた町だ。
今では、どこの大学にもいっぱいいる。A大は200人B大は5百人とか。
そういえば、日本の皇太子様も留学してたし、友達つながりでGパンで遊びに行かれたかもしれない。
最近ようやくなんら人間変わらない事が、実際多くの人と会ってきてようやくわかってきた。
それだけに、飲み友達になって一緒に飲んでいたら、某国の大臣だったり、ただの酔っ払いの叔父さんと思っていたら、一流企業のトップだったり。世界的に有名なミュージシャンだったり。
知らないもんの強み。京都ってそんな人間ごろごろしている町だって改めて最近思う。
それと、学生時代京都で過ごして、大成功しても京都では、学生気分にもどるらしい。もっとも、ずっと京都でごろごろしている私は、学生気分から進歩ないまま・・・・・いまもごろごろ。
Posted by こやまあきゆき at
22:58
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2006年07月23日
勅使河原宏さん
草月流の家元として多大な功績を残された。
実は、突然の急死で未完になってしまった歴史的なお仕事が一つある。
そしてこれが、私には残念で仕方ない歴史的な出来事なのだ。
実は、近く「京都の近代美術館」で展覧会が開かれる、「富本憲吉先生の生涯」をモデルとした映画がを製作される準備が進んでいた。完成していれば、先生が日本近代陶芸の祖と呼ばれるほとんどの方がご存じない様々なエピソードを、多くの人に知っていただき、無から新しい芸術運動が次々と生まれてくる様々な背景を理解していただける絶好の教材でもあった。 民芸と密接な「国画会」・「文展・帝展・日展」「新匠工芸会」「伝統工芸」そのすべての工芸の始まりに中心的役割を果たした一人のカリスマの知られざる生涯を、宏先生は、辻井さんの原作に京都時代や奈良時代を徹底的に取材されていた。実は、京都時代の先生の工房が、私の生まれた祖父の敷地の一角にあり、唯一すべての活動に行動を共にしながらあまり表に出なかったのが、祖父鈴木清であり、京都美大(現芸大)1期生で公私の助手を務めたのが、父小山喜平であり、宏先生の依頼で、撮影用に先生の作品のレプリカも父が製作した。本来映画の中で壊される作品達が、撮影される事なく壊された。主演予定の男優も、先生そっくりで有名な名優さんだが、絶好の年齢的タイミングも逃してしまった。文字通り、先生の作陶の助手を務めた父が製作し、そっくりの名優が演じ、すべてを知り尽くした監督の下で、おそらく歴史的価値の高い映画となるであろう作品が、幻になった。やはり形に残らない最高の芸術を追求された偉大な芸術家だったのだろうか。その死は、悔やんでも悔やみきれない。 続きを読む
実は、突然の急死で未完になってしまった歴史的なお仕事が一つある。
そしてこれが、私には残念で仕方ない歴史的な出来事なのだ。
実は、近く「京都の近代美術館」で展覧会が開かれる、「富本憲吉先生の生涯」をモデルとした映画がを製作される準備が進んでいた。完成していれば、先生が日本近代陶芸の祖と呼ばれるほとんどの方がご存じない様々なエピソードを、多くの人に知っていただき、無から新しい芸術運動が次々と生まれてくる様々な背景を理解していただける絶好の教材でもあった。 民芸と密接な「国画会」・「文展・帝展・日展」「新匠工芸会」「伝統工芸」そのすべての工芸の始まりに中心的役割を果たした一人のカリスマの知られざる生涯を、宏先生は、辻井さんの原作に京都時代や奈良時代を徹底的に取材されていた。実は、京都時代の先生の工房が、私の生まれた祖父の敷地の一角にあり、唯一すべての活動に行動を共にしながらあまり表に出なかったのが、祖父鈴木清であり、京都美大(現芸大)1期生で公私の助手を務めたのが、父小山喜平であり、宏先生の依頼で、撮影用に先生の作品のレプリカも父が製作した。本来映画の中で壊される作品達が、撮影される事なく壊された。主演予定の男優も、先生そっくりで有名な名優さんだが、絶好の年齢的タイミングも逃してしまった。文字通り、先生の作陶の助手を務めた父が製作し、そっくりの名優が演じ、すべてを知り尽くした監督の下で、おそらく歴史的価値の高い映画となるであろう作品が、幻になった。やはり形に残らない最高の芸術を追求された偉大な芸術家だったのだろうか。その死は、悔やんでも悔やみきれない。 続きを読む
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22:42
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2006年07月23日
バーミアンの遺跡
アウガニスタンでゲリラに爆破された、「バーミアンの西と東の大仏」
私にとっては、とても悲しい出来事でした。ちょうど大丸ミュージアムでの展覧会の作品を制作中の出来事で、実は、父が京大西アジア調査隊隊員の時に調査した仏像でした。
そこで、私は、「バーミアンの西の大仏」のミニチュアを作って、展覧会に出品しました。
最近、龍谷大学の入澤 崇先生が、この方面の調査をされていて、最新のお話が聞ける事になりました。「シルクロードの会」にゲストで参加してくださり、様々な最新の研究についてお話くださいます。
会には、誰でも参加できます。 7月25日(火)午後6時から、食事代込み¥7000
興味のある方は、四条川端上る「キエフ」まで、075-525-0860
私にとっては、とても悲しい出来事でした。ちょうど大丸ミュージアムでの展覧会の作品を制作中の出来事で、実は、父が京大西アジア調査隊隊員の時に調査した仏像でした。
そこで、私は、「バーミアンの西の大仏」のミニチュアを作って、展覧会に出品しました。
最近、龍谷大学の入澤 崇先生が、この方面の調査をされていて、最新のお話が聞ける事になりました。「シルクロードの会」にゲストで参加してくださり、様々な最新の研究についてお話くださいます。
会には、誰でも参加できます。 7月25日(火)午後6時から、食事代込み¥7000
興味のある方は、四条川端上る「キエフ」まで、075-525-0860
Posted by こやまあきゆき at
16:18
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